失敗したら、また研究。
成功しても、いろいろ変えてみてまた研究。
よかった結果を、誰かが真似てくれたらそれでいい。
イチゴ農家
山崎翔太
Syota Yamazaki
“イチゴ王子”という異名も納得の、すっきりと整った顔立ちの山崎さん。平戸で生まれ育ち、農業高校卒業後は福岡県久留米市の九州沖縄農業研究センターで2年間研修生としてイチゴについて学んだ後、平戸に戻って就農した。
本人の記憶は曖昧だが、周りの証言によると小学生の頃にはもうイチゴ農家を目指していたという。そのきっかけは親のイチゴづくりを見ていて面白そうだったし、そのイチゴが美味しかったこと。今はその両親と一緒にイチゴづくりに勤しんでいる。幼少時からイチゴ一筋の山崎さんに、農業以外の仕事をやってみたいと思ったことは? とたずねると「ないですね」ときっぱり。「実がなって、食べた時のおいしさや、誰かにあげた時に喜んでくれた反応などを見るのが楽しくて」と、イチゴ作りの魅力を語る。
その背景には、とにかく熱心に研究し、少しでも可能性を感じたら果敢にチャレンジするひた向きな姿勢が隠れている。「常に研究をしながらです。でも失敗も多いですけど(笑)」と爽やかに言うが、人間、一旦うまくいった経験にしがみつくのが性だと思いきや、山崎さんは「いろいろ変えてみて、うまくいっても次の年また違う風に変えてみよう」と、攻めの姿勢を崩さない。そしてやはり今季もまた大きく攻めた。平戸では『ゆめのか』が定番のイチゴ品種だが、山崎さんはあえて、すべてを新種の『恋みのり』に変えた。この1品種だけで勝負をするのは、平戸では山崎さんただ一人となる。
こう書くと、傍若無人のアウトローかと思われそうだがそうではない。所属する平戸4Hクラブ(農業青年クラブ)では、畜産も野菜もひっくるめて地元で進めていた食育プロジェクトが認められ、就農3年目にして長崎県代表として九州大会に出場。これは10年ぶりだという。さらに3年後には長崎県の4Hクラブの会長に推されて就任。平戸から県の会長が出るのは20数年ぶりの快挙だというから、実績も人望も相当な高さである証だろう。一見クールな山崎さんが縦横のつながりを大切にしている気持ちがこんな言葉に表れている。「平戸のイチゴ部会はみんな仲がよくて、意見交換なども活発。積極性とやる気がある人ばかりで。そういうのがいいなと思います」。
若手農家の県代表という立場。山崎さんの動きを参考にする新規就農者も多いのでは、との問いには「いや、そこまでは…よかったら真似てみようかな、と思われるくらいでいい。そういう人がいれば喜んで教えたいと思います」。
若手の中にも、山崎さんのように確実に頼もしいリーダーが育っている。そしてチャレンジを続ける山崎スピリットもまた、次世代に受け継がれていくことだろう。
どんだけ頑張っても天気に勝てなかったりはありますね。腐ってしまったりとか雨が全然降らなかった
りとか。そういうのは大変ですね。
農業のことで分からないことがあったら、すぐ教えてもらえたりとか、そういうのはやっぱりいいと
思いますね。みんなが良くしてくれます。かなり年上の大先輩たちも。イチゴを作っていればイチゴ部
会にも入れますし、4Hクラブも本人の希望があれば入れます。新規就農者に対してもみんな優しくして
くれます。
いま35アールを両親と3人でやっています。夏場にメロンも作っていますが、趣味程度です。生活の厳
しさは感じません。ちょっとは余裕がある感じで、イチゴだけでも十分やっていけています。結婚して
子どもが生まれたりしても大丈夫かなと思っています。
よく「見る」ってことですかね。実が弱かったりするんで結構病気とか虫とかが出やすい。イチゴに
とって一番の敵は病気なので、腐ったりしないように暇さえあればちゃんと見とくということです。
頑張れば頑張るだけ収入が上がるのは魅力だと思います。初めてでも、やる気があれば、大丈夫。でも
やっぱり難しいことは多いと思うので、分からなければみんなにすぐ聞いていけたら大丈夫だと思いま
す。一緒にイチゴを作りましょう! 待ってます!